この称号は、市とつながりが深く、社会の進展に著しい功績があった方に対し、その功績と栄誉をたたえるものです。これまで5人の方に「那珂市名誉市民」の称号を贈呈しています。
那珂市名誉市民条例
名誉市民は那珂市名誉市民条例でその称号を贈る条件を規定しています。
○本市に居住し、もしくは居住していた方又は本市に関係の深い方
○地方自治の進展、社会福祉の増進、産業の振興、教育・文化・学術・技芸・スポーツの向上に多大の貢献をし、その功績が顕著な方
○市民が郷土の誇りとして、ひとしく尊敬する方
那珂市名誉市民章
那珂市名誉市民紹介
故 根本 正 氏
顕彰年月日:平成26年11月15日
「義務教育費国庫補助法」、「未成年者喫煙禁止法」、「未成年者飲酒禁止法」を成立させ、誰もが無償で義務教育を受けられるようにするとともに、子どもたちをたばこや酒の害から守りました。この功績は、政治家としてだけでなく、教育者としての評価も大きなものがあります。
また、水郡線敷設に尽力し、公共交通の整備と地域の発展に多大な貢献をしました。常に地域社会のことを考えながら新しいことに挑戦していく姿勢は、現代社会においても人材養成のモデルとなり得る人物です。
その他にも政治的業績として、中南米移民の促進、国語調査会(国語審議会の前身)の設置、ローマ字調査審議会の設置、利根川の治水工事の促進、高層気象台(茨城県谷田部町)の設置などの数多くの業績を残し、昭和8(1933)年1月、83歳で永眠しました。
故 宮本 逸三 氏
顕彰年月日:平成26年11月15日
那珂郡役所を菅谷村に誘致した功績は、その後の地域発展に大きく寄与し、今日のまちの姿の基礎をつくりました。また、水郡線の常陸鴻巣停車場敷設に尽力するとともに、水濱電車株式会社を設立するなど地域の公共交通の整備に多大な貢献をしました。
氏は政治家としてだけではなく、起業家としても地域の産業や地域社会のことを考え、地域活性化に貢献してきましたが、昭和5(1930)年4月、72歳で永眠しました。
名誉市民 故宮本逸三の事跡 [PDF形式/401.19KB]
故 中井川 浩 氏
顕彰年月日:平成26年11月15日
衆議院議員として県北地域の発展に尽力するとともに、県南地域の戦後復興にも多大な貢献をしました。また、阿見町にあった旧海軍施設跡地の文化的再利用を目的として、現在の国立大学法人茨城大学農学部及び学校法人霞ヶ浦高等学校の前身となる財団法人霞ヶ浦農科大学を創設し、茨城県の農業振興においてきわめて貴重な財産となりました。
氏は政界だけでなく経済界でも優れた手腕を発揮し、日立セメント株式会社の会長に就任するほか、茨城石炭株式会社を創立するなど実業家としても目覚ましい活躍がありました。
多くの事業を手掛け、人脈を駆使し、戦後の活躍を期待されましたが、昭和24(1949)年11月、50歳で永眠しました。
故 岩上 二郎 氏
顕彰年月日:平成26年11月15日
瓜連町長として地域の発展に傾注するほか、茨城県知事としても鹿島臨海工業地帯・筑波研究学園都市の開発、米軍水戸射爆場の返還等の事業を推進し、現在の茨城県発展の礎を築きました。
また、茨城県知事退任後に清真学園を創立し、茨城県の教育レベルの向上に貢献するなど、政治家としてだけでなく、教育者としての功績も特筆すべきものがありました。
さらに、早くから歴史的文書保存の必要性を認識し、参議院議員在職中に「公文書館法」を成立させました。
「公文書館法」は歴史資料の範囲に公文書等を含め、さらに国及び地方公共団体に、これらの保存及び利用に関し、適切な措置を講ずる責務を明文化しました。これにより日本の公文書の保存及び活用に関する概念が確立されました。
議員在職中は科学技術政務次官を歴任するほか、国際文書館評議会より名誉メダルを授与されましたが、平成元(1989)年8月、76歳で永眠しました。
名誉市民 故岩上二郎の事跡 [PDF形式/337.94KB]
故 白土 松吉 氏
顕彰年月日:令和7年1月18日
水利に恵まれない那珂台地における農業経営の安定化を図るため、氏は干ばつに強く痩せ地でも栽培できるサツマイモに着目し、増収栽培の研究に没頭しました。当時の反収は300貫から400貫が普通であったが、たゆまぬ努力と試行錯誤により、昭和元年に1,000貫まで増収させる栽培法を体得しました。その後も、技術的に解りやすく、経済的で合理的な栽培方法の確立に向けて精力的に研究を続けた結果、昭和12年に画期的な「白土式甘藷栽培法」を完成させました。
氏が生涯をかけて尽力した農業振興の偉業は、戦中戦後の食糧難から人々を救っただけではなく、現在の那珂市の特産品であるサツマイモを原料とした「干しいも」の一大産地としての礎を築いた功績は大きなものがあります。
晩年は、白土甘藷研究所で自らサツマイモの栽培に従事し、研究に精進していましたが、昭和31(1956)年、76歳で永眠しました。
歴史民俗資料館、市立図書館、中央公民館及び教育委員会生涯学習課で購入できます。