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学習(令和3年)


 令和3年6月1日(火)に、那珂市静にある常陸二ノ宮である静神社とその周辺を散策しました。

    静神社
 創建の時期は不明ですが、上古(6〜7世紀)に静織りを織っていた倭文部(しどりべ)の人たちが信仰していた神社が元になって静神社が創建されたと考えられています。
 祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)で、「倭文神(しどりのかみ)」といわれ、機織りの神として祀られています。
  『常陸国風土記』の碑
 『常陸国風土記』の久慈郡の条には「(こおり)の西□里に静織(しどり)の里あり。上古の時、綾を織る(はた)を知る人あらざりき。時に、此の村に初めて()りき。因りて名づく」とあります。
 静はその遺称地とされています。静神社の境内には上記の文を刻んだ碑があります。

『常陸国風土記』の碑


 静神社の境内には、万葉集巻20(4372)倭文部可良麻呂(しどりべのからまろ)の長歌を刻んだ歌碑があります。倭文部可良麻呂は 織物を織っている一族(倭文部)の一員と考えられ、そのゆかりの地にある静神社に昭和53年「常陸万葉の会」により奉納されました。

   万葉歌碑
足柄のみ坂たまはりかえりみず 吾は越え行く
荒らし男も立しやはばかる不破の関 越えて吾はゆく
馬のつめ筑紫の先に溜まりゐて 吾は斎はむ
もろもろは幸くと申す 帰り来まで
  巻20(4372) 倭文部可良麻呂
   万葉歌碑の前で
 倭文部可良麻呂の長歌は、防人として常陸国から、足柄、不破の関をこえて筑紫へと進む私。故郷に帰りつくまでの無事を願う気持ちが歌われています。
 徒歩、馬、船を乗り継いで九州まで赴いた防人の気持ちを思いながら、歌碑の前で記念写真を撮りました。


 その後、静神社を参拝。斎藤宮司から、静神社の歴史についてお話を伺いました。

 静神社の歴史(斎藤宮司)
 古代の倭文部の時代、中世の佐竹氏の時代、近世の徳川氏の時代、明治から現代へと時代とともに変化する様子が熱く語られ、大変に貴重な話をうかがうことができました。


 静神社を参拝してから、静地区内の桂木稲荷神社(静のムクノキ)、権現塚古墳、下大賀地区の弘願寺などの史跡を見学しました。