暮らしのそばに“いぃ那珂キャスト”
vol.8
地元の文化遺産と自然を
ずっと守っていきたい。
- 地域ボランティア
南酒出城跡保善の会
豊かな那珂市。特に水郡線が上菅谷駅で分岐するあたりから、田園風景が広がる中に多くの森林が点在しています。千年以上もむかしから寺社を囲む杜や、ずっと農家さんの家々を守ってきた屋敷森、そして中には城跡も。実は市内にはそのむかし城が築かれたところがいくつかあり、木々に深く覆われた南酒出城跡もそのひとつ。しかし単なる森としか見えないからでしょうか、市民でもその存在を知る人は少ないのだそうです。
南酒出城は、古くからこの地を治めていた佐竹氏によって1589年(天正17年)に築城されたといわれています。敵対する額田小野崎氏の額田城を攻めるために築かれた向城(むかいじろ) で、那珂台地の北端と久慈川が流れる低地との高低差や、間を縫う小さな谷を巧みに活かし、複雑で大規模な曲輪が造られました。土塁や空壕がほぼそのままの状態で残されているこの貴重な地域の文化遺産を守ろうと、2016年に地元4地区の自治会長が発起人となり「南酒出城跡保善の会」を設立。地域の有志がボランティアとして参加し、活動を続けています。同会の代表、池島義昭さんにお話を伺いました。
池島さん、ここは写真で見るよりかなり迫力がありますね。土塁が想像以上に高い! 空壕はかなり深いですが、どれくらいあるんですか?
「浅い所でもだいたい6m半。もともと窪んでいるところを掘り下げて、その土を両側に盛っていったのでしょう。こうした敵の侵入を阻む郭は五つあって、郭は東西90m、南北60mにわたって造られています。いくつか壕が屈曲しているところがあるでしょう。あれは横矢掛りといって、敵が一気に進めないようにして側面から矢で攻撃できるようになっていますね」
取材に訪れたこの日は、月に一度の活動日。朝8時から30人ほどのメンバーが軽トラに乗って集結し、チェーンソーで空壕の中の立木を伐採したり、倒木を片付けたり、みなさん手際よく作業をされています。草木で生い茂った土塁はあっと言う間にきれいに。会の活動はこうした土塁や空壕の保全のほか、見学に訪れる方のための木道や案内板を造り、危険な箇所にロープを張る作業も。
「ある伝説がありましてね。むかしこの城で縫い物奉公をしていたおちよさんが、吊り橋から落ちてしまって。村人が弔いに桜を植えたという言い伝えがこの地域にはありました。それが昭和22年の始めのカスリーン台風の時に溜池が決壊して、桜の巨木の根っこが現れましてね。嗚呼 “おちよ桜”は本当にあったのだろうと。それで碑を建てることにしました。木道はその碑に続くように造ったんですよ」
池島さんに案内され、城跡の斜面から続く木道を降りていくと、碑が立つ場所が見えました。辺りは湿地で、土塁の森とは違う草木が生い茂る景色が広がっています。
「ここにはいろんな草木があるでしょう。動物も昆虫もたくさんいて、シジミだっているんですよ。まさに生き物の楽園。私たちは城跡だけでなく、この周辺の環境保全にも力を入れて、子どもたちの自然体験学習の場を提供できたらと考えています」
地域の歴史を伝える城跡と自然環境の保全。それは力仕事も多く、高齢化するメンバーにとって苦労も多いそうですが、それでも毎月の活動を欠かさないのは、彼らの孫や曽孫の世代になる地域の子どもたちが、地域の風土と歴史に触れ、生まれ育った地元の素晴らしさを感じてほしいと願っているから。
「それに自分らの健康のためにもなるんですよ。肉体的にもそうですし、地域のみんなのための場所になるんだと思えば心も満ち足りて健やかになりますよ。この場所を多くの人に見てもらって、私たちの活動も知ってもらい、できれば若い人にも会に参加してもらえると嬉しいですね」
池島さんをはじめメンバーのみなさんの今後の目標は、ここから久慈川まで続く湿地帯を整備して遊歩道やサイクリングロードを造り、市民のみなさんに愉しんでもらうこと。四百年以上むかしの兵どもの城跡から、現代のツワモノたちが夢に向かって歩み続けています。
南酒出城跡保善の会
ともに城跡や周辺の環境整備をするメンバーを募集しています。